陸戦研究 平成13年11月号から、引用                 トピックス2001(H13)へ   

 「故(ふるさと)郷」とは、@生まれた所、Aかつて住んでいた所、Bなじみのある所、(広辞苑)とあ

りますがそのつき合い方も、人それぞれ濃淡があることでしょう。

 私事で恐縮ですが、私の故郷は、北海道のほぼ真ん中の夕張(ピーク人口約12万人)からさらに、

東の奥へ入ること30km、夕張岳のふところに抱かれた、山間の標高400m程の小さな盆地上にあ

り人口最大約1.5万人程度で、大夕張(おおゆうばり)という地名です。夕張に何故「大」をつけたか

知る由もありませんが、炭坑城下町でこじんまりとまとまった町でした。

 5月中旬以降、桜、梅、ツツジ、コブシ等一斉に咲き乱れ、夕張岳の麓を流れる沢には、アメマス、

イワナ等がひしめき合い、9月下旬からはじまる紅葉は、1日1日と色づきを変え、その1週間のパノ

ラマは日本有数の芸術的景観ではなかったかなと今も思っています。 この季節は、ヒグマ君との出

会いもたびたびです。 私も子供の頃3回ほど20m〜100m程度の近さで相まみえました。

また冬は、10月下旬から4月まで約半年、積雪も北海道有数の豪雪地帯ですが、スキー、雪合戦、

城造り等これもまた楽しからずやです。そして、春祭り、盆踊り、真冬の裸祭りも懐かしい思いです。

 家も炭坑特有の4〜8軒の長屋で、近所とのお付き合いも親戚以上の親しさで、本当にお世話にな

ったものでした。 ところが今から28年前、夕張岳の麓にあつらえた舞台で、46年間にぎやかに演じ

ていた15000名の役者が、幕閉と同時に、突然に消えてしまいました。 町の喧騒、息遣いが忽然と

無の世界になったのです。 閉山でした。 今は人口ゼロです。 杜甫の「国破山河在、城春草木深」

の観で、もう盆地一帯はヒグマのテリトリーです。 無論 小、中、高絞、郵便局、商店街等々懐かしい

建物も一切残っていません。

 余談ですが、10数年ぶりに訪ねると、不思議なことに、元の学校、駅との距離等が、やけに近く感じ

られ、子供の目のモノサシとの違いを実感しました。 ともあれ、訪道の度、何もない故郷を訪ね実に

素直に私の原点を感得させて頂ています。

 るる、感傷っぽく述べましたが、故郷は、日本人というDNAの基盤に、さらに郷という特有DNAを付

加していることと思います。皆さんそれぞれ故郷との関わり合いに濃淡はあるにしても、故郷に対する

思いは、「愛」「国への思い」の原点、源流ではないでしょうか。

 あまり、いい思い出をもっていない故郷、あるいは、怨み、つらみ、のほうが多い故郷等、故郷に対

してマイナス感を持っている方もいるとは思いますが、故郷を持っているだけ、故郷があるだけ、まだ

ましであり、原点を見つめることができる対象が、現存することに対して、感謝の念をいま一度抱いて

はどうでしょうか。形而上下、自分の故郷に何かしらの貢献をしたいと思いついた時、その対象である

故郷がないということは、悲しいものです。

 むすびに、島崎藤村の言を紹介します。 「血につながる故郷、心につながる故郷、言葉につながる

故郷」、皆さん、故郷をお大事に。

                              (幹部学校教育部 1等陸佐  小西 喜洋)

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